あしたも日曜日

~40代セミリタイア夫婦のシンプルライフ~

おすそわけ

「もったいない」という言葉がしっかり生き残っている割には、「おすそわけ」は少し衰退気味のように思う。

小袋包装したお菓子を、お土産に配ることはよくあるものの、たくさん頂いたものを近所や職場に配る機会は、人によってはほぼ皆無になっているんじゃないだろうか。

若いうちは特に「オバチャンみたい」と言われそうで少し恥ずかしかった。一方、可愛くラッピングされた物の贈り合いは「女子力が高い」と評される。

でも、「贈り物」と「おすそわけ」は意味合いがそもそも違う。そして、なにより前者はお金が掛かるが、後者は基本的に掛からない。

資本主義社会にとって優等生なのは、当然「贈り物」の方。わざわざ一人分に小さく包装された物をたくさん買っては配る。
お金も資源も使い放題だ。
売る側が売れやすく経営努力した結果なんだろう。

「おすそわけ」は、そもそも「いただきもの」を分けて渡す行為。
でも最近は、昔ほど「いただきもの」に恵まれない上に、いただいても分けるほどの量はないことが多い。

空家になっていた戸建ての実家に住むようになってから、おすそわけしていただく機会が多くなった。

庭で土いじりをしていると、「お母さん、元気にしてらっしゃる?」とよく声を掛けられる。
70代の両親と同年代が多い「ご近所さん」の方々。

我々夫婦とは年代が違うので、当たり障りなく季節の話題が多くなる。
庭木に咲く花や、実った果実の話をしていると、柑橘類のジャムを同時期に3軒からいただくようなことが起きてしまう。
当然食べきれない。おすそわけしたいものの、ご近所にはきっと同じものが出回っているはず。要冷蔵なので職場にも持って行きづらい。じゃあ半分は冷凍室へ。

夫がサーフィンに行くと、よく地元のサーファー(オジサンばっかり)からハマグリや海藻をもらってくる。ジャムのお返しにちょうど良い。

庭に群生したアロエベラを2軒隣のおばあちゃんが欲しがるので、ゴソッと持っていく。後日、お礼にと手作りケーキを分けていただいた。

多肉狩り(多肉植物を求めて各地のショップやナーセリーを渡り歩くこと)で知り合ったシニアの皆さんからも、自宅に招いていただいては、野菜や惣菜をお土産に持たせてもらう。

戸建てに住むようになったことで、多肉植物にハマったことも併せて考えると、マンション暮らしだった時よりも、格段におすそわけをいただく機会が増えた。
子どもがいない私にとっては、ママ友同士の助け合いがないので、とても新鮮で有り難い。

私が若かった90年代に比べ、日本人の平均所得は大幅に下がった。
一方、独り暮らし世帯が増えたことを考えると、「おすそわけ」文化はおおいに復活するべきだと思う。

お金を介さないと物のやり取りが出来づらい現代は、お金の有り無しで生活が大きく左右される。田畑や庭の少ない都会は尚更だ。

お金に頼り切らず、あるものを融通し合うことは、家庭にとって経済合理性が高く、エコロジーにも叶っている。

そんな良いこと尽くしの慣習が、経済成長の名の元に衰退するのはおかしい。
お金持ちはおすそわけがなくても生きて行けるだろうが、無いものにとっては、助け合いこそ、生活上とても大きな役割となるからだ。

今後のAIの発展で、今ある仕事や企業が無くなったり、格差が更に拡大する未来予想を聞くにつけ、不安に思っている人は多いと思う。

だからこそ、古くからの助け合いの知恵で乗りきることが、生き残りの鍵になるのではないでしょうか。

もうこれ以上便利にならなくてもいいのにな。

普通に頑張れば普通に生きて行ける世の中になってほしいな。

「おすそわけ」

どんな時代になっても、先人から授かったこの尊い文化を、ちゃんと次の世代にも引き継いでいきたい。