岬めぐりを終えて、駒谷崎駐車場でくつろいでいると、一台の軽トラが横付けされました。
おじいちゃんが一人、「あ~ぁ、今年は温暖化で昆布が採れない。たまったもんじゃねぇ」と言いながら、ニコニコ話しかけてきて、置いていた椅子にドカンと腰掛けちゃいました。
ほよよ~?
気さくなおじいちゃん慣れしている我ら夫婦にとっても、いささか面食らうレベルの人懐こさで乱入して来られました。
でも経験から、これは面白いことになりそうだ、と夫婦ともども直感しつつ、お喋りがスタート。
60代の島の漁師さんで、昆布漁をしておられるそうです。
訛りが強いのと、舌ったらずな口調なので、6割くらいしか理解出来なかったのですが、親は樺太からの引き上げ、息子は関東に住んでおり、叔母が戦時中にハワイに移住、などなど一通り自分や家族のことを話してくれました。
そして話が一段落したところで「うちの昆布持ってけぇ」と嬉しいオファーをいただきました。
軽トラの後を追いかけ、もと来た道を戻るように北へ北へ。
南に向かおうとしてたんだけどなぁ。
まだかなぁ。ほぼ今朝の振出し地点に戻りつつあるよなぁ。
ま、今晩も昨晩と同じキャンプ久種湖畔場でいいかぁ。
成り行きで予定を変えられるのも車中泊のいいところなのです。
やっとこさ着いたお宅に上がらせて頂くと、もう一人おじいちゃんが座っておられました。
ご近所の方かな?
ご挨拶すると、なんと十数年来の北海道キャンパーで、数年前から、この漁師のおじいちゃん宅に夏の間だけ昆布漁を手伝いながら居候をさせてもらっているとのことでした。
関東から来られたこの方、なんとなんと、我々の住む街にかつて下宿していたことがあるらしく、最北端の島で、関東ローカルな話に盛り上がってしまいました。世間は狭い!
釣りがお好きらしく、プロ▪アマ両方のおじいちゃんズから、いろいろ海の幸について語っていただきました。
昨日知り合った女性から聞いていた通り、礼文島は昆布だけではなく、ホッケやウニ、真蛸などが美味しいそうです。
そんな話をしていると、「旨いぞ~」と茹でた真蛸を出してきてくださいました。
そのうち食べに行こうと予定していたところ、思わぬ形で礼文島の真蛸を食べる機会に恵まれてしまいました。
柔らかくて、美味しい!
今まで食べたことのないような触感と味わいで感動しました。蛸は下処理が下手だと皮が固くなると聞いていたのですが、頂いた真蛸は直ぐに皮を剥いているので、白く柔らかいのです。
あぁ、無限に食べたい❤
蛸はアザラシの大好物だそうです。
頭だけ食べて足は残すらしいのですが、その残された足だけでもしばらく動いており、昆布漁をしていると、蛸の足だけふわふわ泳いでいるのを見かけるとおっしゃっていました。
その他、ニシンが66年ぶりに礼文島に来て、ニュースになった話を聞かせてくれました。ソーラン節に出てくる魚なので、てっきり北海道の代表的な魚だと勘違いしていたのですが、ずっと昔に捕れなくなっていたそうです。
その他いろんなお話を聞かせていただき、あっという間に2時間ほど団欒させていただきました。
最後に昆布を段ボールいっぱいに詰めてもらっている間、干している昆布を集める作業を手伝わせていただきました。なかなか出来ない体験です。
向こう3年くらいは昆布を買わなくて済みそう。
きっと昆布を料理に使う度に、この日を思い出すことになるんだろうなぁ。
旅の楽しみが、帰ってからもしばらく続くことになりそう。
あわただしいツアーだと、こんなにゆっくり出逢いを満喫することは叶いません。今どれだけ贅沢な体験が出来ているのか、島のおじいちゃんズに感謝感謝!
まだまだ旅は序の口ですが、改めて最後まで楽しみ尽くそうと思いました。
おじいちゃんズ宅を出て、その日は久種湖畔キャンプ場に帰還。
もう夕方近くになっていました。
夕飯前に近隣を散策しようと歩き始めたところ、道路沿いに海岸へと抜ける道を発見。小高い道を抜けると一面の貝殻畑!
通称『貝殻浜』と呼ばれているそうです。
厚く貝殻が積み重なった海岸を、下を見ながら歩いていると礼文島のパンフレットで見た「穴あき貝」がそこら中に散らばっていました。
ぽっかり一か所穴が開いている貝殻。不思議な姿です。
この穴は「ツメタガイ」という巻貝によって開けられて中身をチュウチュウ吸い取られた痕だそうです。貝VS貝の仁義なき戦い。共食いみたいでちょっと猟奇的。
他にも白い綺麗な石(メノウだとキャンプ場の方に教わりました)や大小さまざまなシーグラスをたくさん見つけ、二人がかりでポケットがパンパンになるほどたくさん集めてしまいました。
中にはおそらくガラスの浮き球の一部と思われる、カタカナの「セ」とはっきり読めるガラスや、瀬戸物のかけらもたくさん落ちていました。
いつごろ使われていたものだろう。
後日利尻町の博物館でガラスの浮き球に関する説明書きを読んだのですが、昭和40年代まで生産されていたそうです。現在はガラスではなくプラスチック製が主だとのこと。ガラスには吹き口をふさぐシールがあり、製造会社の刻印が押されることが多く、この刻印をたどれば、どこで生産された浮き球なのか推理することができるそうです。
50年以上前に作られたガラスなんだぁ。なんだかロマンあふれる海岸でした。
私は関東の地元の海岸で拾う流木を加工して、多肉植物の寄せ植えに使ったり、大きなものはそのままお庭に飾っていたりするのですが、程よい大きさやツヤの流木には滅多にお目にかかれないので、シーグラスも含め、礼文島にはお宝が普通にザクザク落ちているので島の人たちが羨ましくなってしまいました。でも穴あき貝やシーグラスならまだしも、両手で抱えるような流木は持って帰ろうにも車に乗せきれないので、惜しい気持ちを押さえつつ見送りました。残念!
景色ひとつとっても、スマホカメラだからか腕がないからか、写真にするとなかなか素晴らしさを残し切れません。もどかしい。
心に刻んで帰るしかありませんね。
トホホ
(この旅は既に終了しており、振り返ってお届けしております)