あしたも日曜日

~40代セミリタイア夫婦のシンプルライフ~

台風19号直撃を前にした鉄道会社の計画運休

台風19号直撃を前に実施された各鉄道会社の「計画運休」の報道を見て思い出したことがあります。
 

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目次

阪神・淡路大震災当日

1995年の早朝5時46分。
阪神・淡路大震災当時、大阪で入社2年目だった私。
震源地からは離れていたものの、ご近所には「半壊」認定された建物が多く、道路を挟んだ向かいの墓地では墓石が軒並み倒れました。
 
まだ暗い早朝、停電で真っ暗な中、自宅で懐中電灯片手に家族と無事を確認しあいました。
そして電車は運休。
寝ていたすぐ隣にタンスが倒れてきた私は、命からがらの思いだったので、自宅や近所の被災状況を確かめるのに必死で、会社に出勤することなど全く発想にありませんでした。
「停電でどうせ電話もつながらないしぃ、電車も動かないしぃ~」のノリです。
※当時、携帯電話やEメールは一般的ではありませんでした。
 
当時、神戸の被災状況が繰り返しテレビで報道されていたので、兵庫県寄りの大阪(北摂エリア)の被害が過小評価されていました。
御堂筋沿いにあった職場の同僚からは地震翌日に出社すると、
「なんですぐに連絡してこなかったん?心配したんやで!」と詰め寄られました。
大阪南部に住んでいる同僚は、私の住む町が死者が出るほどの被災状況であると把握していなかったようで、
「はぁ?」という私の反応に、
「さすがマイペースね」と呆れていました。
 
その後、ニュースなどで神戸の被災者たちが
「長蛇の列を並んで公衆電話で職場に連絡をした」だの、
「何時間もかけて運休した電車数駅分を歩いて出社した」だの、
「停電で暗い中帰宅した」だの、
会社に対する忠誠心がうかがえる報道に私は驚きました。
 
でも驚いた私の感覚は当時「異常にマイペース」と周囲に認識され、少数派扱いでしたが、今ならどうなのでしょう?
 

働く意識の変化?

働き方改革」というフレーズが世間に登場して久しくなりました。
企業の従業員に対する「搾取」があちこちのメディアでさらされ、「〇〇ハラスメント」が無数にささやかれる昨今、「仕事より自分の人生や家族のほうが大事」という当たり前のことにハタと気付き始めた人が増えたように思います。
 
今回の台風19号による鉄道の「計画運休」の報道を見て阪神・淡路大震災レベルの地震が今起きても、危険を顧みず家族を置いて出社する人は減るんじゃないだろうか?
いや、それ以前にコンプライアンスの名のもと「人の人生にそこまで責任が持てない」と企業側が従業員を「自宅待機」させる判断をするのではないかと思いました。
 

台風による鉄道会社の「計画運休」

前回の台風15号から始まった関東の鉄道会社の「計画運休」。
この計画運休の実施が、労働環境における世間の流れを変えたように思います。
 
「計画的に鉄道を運休」することで、企業も従業員に「自宅待機」を命じやすくなり、従業員側も「やむを得ず自宅待機」することが可能になった。
 
国交省がJRに指示したのかは知りませんが、英断だと思います。
この英断により「出社途中の怪我人」や「家族と連絡がつかずに心配する人」を一定数減らせたに違いありません。
 
もっと早く実施すべきだと常々思っていましたが、この国の長い歴史に刻まれてきた「滅私奉公」の終焉が、ようやく始まったことを告げた「計画運休」だったのではないでしょうか。