あしたも日曜日

~40代セミリタイア夫婦のシンプルライフ~

働かなくても食って良し?

夫婦二人で退職して念願の北海道車中泊の旅を終え、夢がかなった今思うこと。
満たされている。

f:id:asunichi:20191001114637j:image

 
目次

 癒しってなあに?

満たされるとどうなるのか。
会社員時代と違い、「癒し」を求める先に変化が生じてきました。
 
スターバックスコメダ珈琲、武蔵野森珈琲、ららぽーとにアウトレット。
休日の度に訪れていたカフェやショッピングにさっぱり行かなくなりました。
癒しを求めて通ったカフェやレストラン。
節約だからと退職当初は禁じていましたが、行かなくなったら行きたいという気持ちが薄れました。
そういえばお酒も同じ感じだったような。
独身時代、来るもの拒まずで飲みに行っていた私。
結婚してから飲まなくなったら飲みたい気持ちが段々薄れ、今では体がアルコールを受け付けなくなってきました。
 
癒される、満たされる、楽しいと思えるからこそカフェや居酒屋にペイしていた訳であり、仕事や満員電車のストレスから解放された今となっては、限られた生活費の中からペイする価値を見出せなくなってしまいました。
だってもったいないじゃん!
今ならカフェのコーヒー1杯より本1冊にペイしようという発想に変わりました。
 

グルメってなあに?

 
たまたま外出先でお腹が空いたら外食する。
すぐに帰れるようなら帰ってから食べる。
 
食いしん坊がアイデンティティだったような過去がウソのようです。
今となっては、わざわざどこかに美味しいものを食べに行くことはなく、旅行中にその土地のものを食べたら美味しかった。それが今の我々のグルメ。
 
自宅近くでお腹が空けば、スーパーでお惣菜を買って帰ったほうが外食よりも安く済みます。
「中食」ってやつですね。
年々市場が拡大している中食業界。
競争が質を高め、価格を下げる。
節約夫婦にはありがたい現象です。
忙しい共働き世代にとっても時短で便利だし、食材に無駄が出ないという面でも、一人世帯には有難いでしょう。
 
しかし、デフレって本当に脱却したのでしょうか?
お惣菜が安くなる時間帯のスーパーは、総菜コーナーだけえらく賑わっています。
働く世代も年金世代も、「〇〇引き」のシールを貼る店員をそれとなくストーキングしては、貼られるや否や目当ての総菜をゲット。もちろん我々も入店直後に目をつけておき、シールが貼られるまで店内をプラプラしている算段です。
こうなりゃ時間のあったもん勝ちね。
 
時間に余裕ができると低コストで生活が可能になる。
資本主義社会の劣等生になっていくにつれ、シンプルで平穏で満たされた日常が身体に染みついていく。
これでいいんじゃないの?
1円でも多い収入よりも1分でも自由な時間。
今は定年退職後のご近所夫婦たちとほぼ同じ生活パターンになっています。
これが現代の隠居生活ってものなのかしら。
 
働く意欲も全くわかない。
思いっきり遊んだら気が済んで働くようになるかと思っていましたが、全くそんなことはありません。
焦って働かねばという切迫感も沸いてこない。
今はメルカリとヤフオクでの「断捨離生活」のほうが労働よりもよっぽど楽しい。
40年以上かけてため込んできた物は、売っても売ってもなかなか無くならないもんです。
 
しかしいつまで続けていいのかしら、この生活。
今は考えたくないなぁ。
もう少し気ままを続けたい。
だって30年近くも労働に時間を奪われてきたんだもの。
 

AIとBIはいかに人間を変えるのか

 
波頭亮著のヒット本を遅ればせながら読みました。
最近テレビで見ない日はないというくらい露出しまくっている箕輪厚介くん編集のヒット作品です。
 

AIとBIがともに実現した社会では、人間は働く必要に迫られず、代わりにAIが生活を支えてくれるようになる。
そうすると「働かざる者食うべからず」から「働かなくても食って良し」の新しい概念が社会通念となり、お金や経済の価値が小さくなる。
 
お金に翻弄される生活から解放されるんだぁ✨
 
しかし、ヒトは無限に自由な時間を与えられると退屈に押しつぶされそうになって鬱になる者が出てくるらしいです。
 
文中にあった労働、仕事、活動、遊びの定義では、
 
「労働」(labor)は、生きるため、お金のために仕方なく働かされている受け身の状況。
 
「仕事」(work)は、己の特性を生かして自発的に選択して就いていること。しかし自発的とはいえ、雇用主との契約関係にある。
 
「活動」(action)は、人や社会と交流して自己実現や社会貢献をすること。金銭は絡まないものの、何かしら結果は求められる。
 
「遊び」はただ純粋に楽しいことをやるだけ。
 
とありました。
 
ここで言う「遊び」を続けられるか否かは、己の中から「楽しい」を生み出さないといけないと書かれていました。
「遊び」にも能力が必要なのだ。
「退屈の不幸」に陥ってはいけない。
 
ん?
今のところ、いくらでも遊べちゃってるなぁ。
ささやかながらAIもBIも本格化する前から「遊び」のための「楽しい」を毎日実感しています。
草花の成長を見ているだけでも十分「楽しい」。
 
でもねぇ、これはあくまで予測の話。
「働かなくても食って良し」が実現するのなんて何十年先になるのやら。
結局死ぬ間際に実現したって何の恩恵も被れません。
 
今の日本の政治・行政を見ていると、そんなドラスティックな改革が出来るとは到底思えない。
少なくとも今永田町にいるおじいちゃん先生たちが一通り引退した後に、ようやく議論が始まるくらいかなぁ。
世界から散々取り残された後に追随しても、そのころには人口が今の半分に減っているかも。
私が生きているうちに、一日でも早く実現してくれないと困ります。
いや、その前に「退屈の不幸」が襲ってくるのか?
 
やっぱり「働かなくても食って良し」の世の中が到来する前に、クリエイティブな人生を考えないといけないのかもしれません。
「遊び」が「仕事」になればいいのになぁと思う今日この頃です。